義姉

  • 2024.01.03

親戚の前で公開説教… 30代妻が絶望した「義母に疎まれる理由」【後編】 – 文・塚田牧夫 | ananweb – マガジンハウス

希美さん(仮名・30歳)はお正月に夫の実家へ行った際、義姉から冷たい態度を取られたそう。実は、義姉は高校時にバスケで大学の推薦を狙っていたものの、希美さんが所属していたバスケ部に敗北して推薦を逃し、「私の人生はあそこで狂った」と今でも言い続けているといいます。それを理由に敵対視されているのではないかと、居心地の悪さを感じた希美さん。その後一体どのような展開を迎えたのでしょうか。 義母からの厳しい指摘 「その日は宴会が開かれる予定だったため、午後になると義実家の親戚たちが集まり始めました。子どもも含め、15人ぐらいはいたと思います。宴会中、私は裏方に回って、料理を運んだり片付けたりしていたんです。そんななか義母に呼ばれて台所へ向かうと、野菜を切るように頼まれました。言われたとおりに、包丁で野菜を切っていたのですが、それを見た義母から“包丁の使い方が下手ね”と言われたんです。さらに、“包丁もまともに使えないの?”“ご実家で教わらなかった?”とまで言われてしまい…。正直かなりヘコみました」 親戚のいる前で公開説教 「義母とは、それまでに何度も会話をしてきましたが、あまり厳しいことを言うタイプではないと思っていたんです。それもあって、指摘されたときはかなり驚きましたが、“料理には厳しい方なのかも”と、無理やり自分を納得させました。そのあと義母から買い物を頼まれたので、一人でスーパーへ向かうことに。お正月だからか、だいぶ品数が減っていて、頼まれていたものがすべて揃わなかったんです。仕方ないと思い、いったん家に戻ることにしました。家に着いて事情を説明すると、今度は“買い物もまともにできないの?”と義母に叱られて…。しかも、親戚が大勢いるなか、まるでみんなに聞かせるように大きな声で言われました」 義実家で感じた孤独と屈辱 「義母に反論するわけにもいかず、私はただただ謝罪しました。夫も義父もその場にいましたが、見て見ぬふりをするだけで、救いの手を差し伸べようとはしません。そして義姉は、冷たい目でこちらを見ていました。ほかにも親戚が大勢いるのに、誰も私の味方になろうとはせず、私は一人ぼっちの状態です。屈辱をおぼえるとともに孤独感でいっぱいになり、すぐにでも逃げ出したくなりました。ようやく宴会が終わり、片付けを済ませたあと、夫に“悔しい”と訴えました。まるで自分の家族までも否定されたような気持ちになり、涙が止まらなくなったんです。でも、夫は義母に意見をするでもなく、私に謝るだけでした。本当はそのまま夫の実家に1泊する予定でしたが、とてもそんな気持ちにはなれません。一刻も早くここから出たいと思い、体調不良を訴えて自宅に帰りました」 すべての元凶は… 「その半年後、義母の誕生日に家族で外食をしようと誘われました。まったく気乗りしませんでしたが、その日は義姉が来ないと聞いて、渋々承諾することにしたんです。当日顔を合わせた義母と義父は、お正月のときとはまるで対応が違いました。とてもにこやかで優しく、楽しそうに見えました。あまりにも態度が急変したので不思議でたまりませんでした、その日は穏やかに食事を終えたのですが、私はひとつの結論に至りました。おそらく、この家族はみんな義姉に気を遣っていて、義姉の機嫌を損ねないことを第一に考えているのではないかと。お正月に義母が厳しい態度で接してきたのも、私に優しくすれば義姉が気を悪くするため、ああするしかなかったのではないかと…。思い返せば、義姉がいない場で、義母から厳しいことを言われたためしがありません。その年は親戚の不幸が続いたため、次の年明けは挨拶程度で終わり、親戚の集まりはありませんでした。しかし、またお正月はやってきますし、相変わらず義姉は実家で暮らしています。またあんな思いをするのかと思うと、もう二度と夫の実家には行きたくありません」 “お正月に夫の実家で屈辱的な思いをした妻の告白”をご紹介しました。複雑な事情を抱えた家族と接すると、何らかのとばっちりを受けてしまうこともあるでしょう。とはいえ、結婚相手の家族と完全に縁を切ることは難しいもの。何かしら折り合いをつけて、ほどよい距離感で付き合っていくしかないのかもしれません。 ©taka/Adobe Stock ©yamasan/Adobe Stock 文・塚田牧夫 https://ananweb.jp/anan/523614/ Source: ananweb

  • 2024.01.03

義姉に恨まれていました… 年始に夫の実家で発覚した「思わぬ因縁」【前編】 – 文・塚田牧夫 | ananweb – マガジンハウス

結婚後に夫の実家を訪れる機会は何度もあるでしょう。相手の家族と長時間一緒に過ごすことで、今までと違った印象を抱くこともあるはず。希美さん(仮名・30歳)も、結婚後に初めて夫の実家で過ごしたときに不快な体験をしたそう。そのときの状況を詳しく伺いました。 新年に夫の実家を訪問 「3年前に結婚した夫とは同い年で、地元も同じ。共通の知り合いがきっかけで親しくなり、交際から結婚までとんとん拍子で進みました。結婚した年の翌年のお正月、初めて新年を夫の実家で過ごすことに。午後から親戚が集まることになっていたので、宴会の準備をするために、私たちは早めに家を出て車で向かいました。夫の実家へ行くにあたり、私が懸念していたのは夫の姉のこと。夫の実家には、2歳上で独身の義姉が住んでいました。それまでにも会ったことはあったのですが、挨拶を交わす程度でそれほど関わりはありません。夫から、“姉は少し変わっている”と聞かされていたので、私は義姉に会うことに対して少し緊張していました」 義姉と共通の話題を見つけたものの… 「夫の実家に到着し、リビングで少しゆっくりしていました。そのとき、リビングに飾られた義姉の写真を発見。どうやら高校時代の写真で、義姉はバスケ部のユニフォームを着ていました。私も高校時代はバスケ部に所属していたので、共通の話題を見つかったことにほっとしましたね。しかも、義姉の高校は名門バスケ部があるかなりの強豪なので、“これは話が盛り上がるはず”と思いました。そこで思い切って、“私もバスケ部だったんです”と声をかけてみたんです。ですが、義姉の反応はとても素っ気なくて、“ふ~ん”という返事のみ。そのときは、“急に距離を詰めたのが失敗だったのかな…”と少し反省しました」 義姉との思わぬ因縁 「そうこうしているうちに義母がやってきて、大型スーパーへ買い物に行くよう頼まれました。夫と車に乗り込み、スーパーへと向かいながら、さっきの義姉との会話について話してみたんです。返事が素っ気なかったことを伝えると、“姉はバスケで大学の推薦を取るつもりだったが失敗した”“だからいい思い出がないのではないか”と聞かされました。なんでも3年生のとき、全国大会を目指していたものの2回戦で敗退してしまい、推薦が取れなかったそう。義姉は今でも、“私の人生はあそこで狂った”と言っているらしいのです。そこで私はハッとしました。私が1年生のときに義姉の高校と対戦して、大番狂わせで勝利したことを思い出したのです」 ますます居心地が悪くなり… 「当時、私はベンチに入っていませんでしたが、私の高校が義姉の高校を倒したのは事実。義姉は、私がその高校のバスケ部に所属していたことを知っていたのではないかと思いました。まさか、それが原因で私を敵対視しているのかもしれないと…。もしそうなら、とばっちりでしかありません。夫によると、義姉はその後、栄養士を目指して専門学校に入ったものの挫折。退学して就職しましたが、そこでも人間関係に悩んで退職し、実家に戻ってきたそうです。夫の話を聞きながら、義姉から一方的に恨まれていたらどうしよう…と重い気分になりました。買い物を終えて家に戻ったあとも、義姉の冷たい態度は変わりません。宴会の準備を進めながら、“これはどこに置けばいいですか?”と尋ねても、“知らない”と素っ気なく返されて…。とにかく居心地が悪くて、義姉と仲良くなるのは難しいかもしれないと思いました」 “義実家で居心地の悪い思いをした妻の告白”をご紹介しました。温かく迎え入れられるどころか、義姉から厳しい洗礼を浴びてしまったようです。ただでさえ夫の実家は気を使う場所であるだけに、その辛さは痛いほど伝わってきますね。 ©buritora/Adobe Stock ©miya227/Adobe Stock 文・塚田牧夫 https://ananweb.jp/anan/523612/ Source: ananweb