WHO’S HOT

2/2ページ
  • 2023.09.08

EXILE TAKAHIRO、清木場俊介&ATSUSHIからの提供曲は「人生の宝になる」 | ananweb – マガジンハウス

今年でソロデビュー10周年という節目を迎えて、9月6日にニューアルバム『EXPLORE』をリリース。その収録曲について丁寧に、とても大切そうに語ってくれたEXILE TAKAHIROさん。自身にとって、この10年とは? そして話は、EXILEへの想いや、長年苦しんでいたスランプなどにも及び…。 ――約6年ぶりとなるソロアルバムが、ソロデビュー10周年という記念のタイミングでの発売ですね。 EXILE TAKAHIRO:いや、それが10周年っていうのを自分であまり把握していなくて、一曲一曲、全身全霊を込めて作っていった結果、ちょうど今のタイミングになったというような感覚です。というのも、この10年って、異例な10年だったと思うんです。コロナ禍もありましたし、自分たちにとってはEXILEの形が変わったというのも大きな出来事でした。社会的にも非日常の月日が流れていく中で、新たなEXILEを創造しなければいけない。そんな課題と並行しながらのソロ活動だったのですが、そもそも僕はソロ活動を始める時に、EXILEの活動を最優先にしたうえで、ソロをやりたいと心に決めていたんです。なので継続的にソロ活動に多くの時間を費やすことができなかったのですが、それでもソロの楽曲を応援してくださるファンの方が、少なからずいてくださって。そういう方々と歩幅を合わせながら、少しでも喜んでいただけるような楽曲を作りたい。そんな意識のもと積み上げてきた曲が、このアルバムに集約できたという感じです。 ――表題曲の「EXPLORE」には、どんな想いが込められているのでしょう? EXILE TAKAHIRO:これはコロナ禍が始まって間もなく、自分で自分に活を入れるために作った楽曲です。コロナ禍は、本当にいろいろと気持ちを揺さぶられたというか。ツアーやそれまで普通にできていた活動ができなくなったことに始まり、それでも応援してくださるみなさんに少しでも喜んでもらおうと、オンラインライブなど自分たちにできることを一丸となってやってきました。でも改めて考えると、僕らの職業は衣食住とも関係ない、医師でもない。直接的に何かできるわけではないという無力さに食らってしまって…。落ち込みそうになった時、ファンのみなさんがLDHのモバイルサイトなどいろんなツールを通じて変わらず届けてくださるメッセージを見て、「へこたれている場合じゃないな」と。ここは日頃から“Love、Dream、Happiness”をテーマに活動している自分の底力の見せ時だと思い「EXPLORE」を作りました。 ――「新たな世界を今切り拓け」など力強い歌詞が印象的な楽曲です。作った直後のコロナ禍ではなく、今アルバムに初収録という形で発表したのはなぜでしょうか。 EXILE TAKAHIRO:自分の弱さにどうにか打ち克つために作った曲なので、あの時にリリースしていたら、聴いてくださる方に無理を強いてしまうような気がして。もう少し恐怖から解放されたタイミングで、応援歌みたいにできたらいいのかなと。やっぱり音楽って、作る側のモチベーションだけで押しつけるのはよくないと思うんです。できるだけみなさんの気持ちに寄り添って、ポジティブに向かえるタイミングがあるのでは。そう思っていたところ、ちょうどこのアルバムを出す時期に、そのタイミングが来たと感じたのです。 ずっと『TAKAHIROざんまい』 はキツいかなと。 ――「EXPLORE」もそうですが、今作は11曲中7曲と多くの曲にTAKAHIROさんが作詞や作曲を手がけていますね。 EXILE TAKAHIRO:自分の中でいいイメージが広がった時には、間違いなく自分で作りたいと思うんです。でも、例えば「THIS IS LOVE」は、デモを聴いた時になんかすごく神秘を感じて、そのうえで’80年代くらいのなつかしさを感じるバラードだなと。それを生かしたいのに、自分で詞を書くと“今”のイメージにしかならない。もう少し世界観を広げたいと思って、これまでもお世話になっている作家の小竹正人さんにお願いしました。 ――小竹さんとは、TAKAHIROさんのソロデビュー曲「一千一秒」や、EXILEの楽曲でもご一緒されていますよね。 EXILE TAKAHIRO:小竹さんの詞には、僕には出せない“影”が出るんです。その影があるからこそ、光がほんのり見えた時にすごくあったまる。そんな“おだちゃんワールド”が見事にはまりました。あと、このアルバムの一番の推し曲「Unconditional」は、作詞をソングライターのSUNNY BOYさんにお願いしました。こちらもバッチリ。おしゃれでいい曲で、でもよく聴くとめっちゃ歌詞よくない? みたいな。自分で書いた歌詞を歌うと、自分色がすごく濃くなるんですけど、ほかの方が書いた歌詞を自分で噛み砕いて歌うと、ちょうどいい時があって。狙い通りの一曲になりました。 ――では逆にご自身で作詞をする時は、ストレートに自分の思いを表現するなど、自分の色を濃く出したい場合なのでしょうか。 EXILE TAKAHIRO:そうですね。自分の人生にまつわるものだったり、僕の顔が思いっきり見えるような感じ。僕は真っすぐな歌詞しか書けないので、そればっかり(笑)。 ――でも、そこが聴いている人に響くのでは? EXILE TAKAHIRO:そうであってほしいですけど、全部それだと胃もたれするかなって。“TAKAHIROざんまい”だとちょっとキツい気がするんです。自分で聴いていてもそうなんですよね。全部自分の曲だと、まるでずっと自分の顔を鏡で見ているような感じがしてしまう。心地よく聴くには、誰かの肩を借りて世界観を広げていく。そのほうがアーティストとしても成長に繋がるように思います。 ――提供曲といえば「Spotlight ~光の先へ~」は、作詞が清木場俊介さん、作曲がEXILE ATSUSHIさんです。この曲はどういった経緯でできたのでしょう。 EXILE TAKAHIRO:僕はもともとEXILEのファンでオーディションを受けたくらいなので、ATSUSHIさんと俊さんは僕の人生の中で一番の憧れの二人といえるほど。今も会うたびに緊張しますし、とくに二人でステージで歌われている姿を見ると、やきもちは全くなく、むしろ「もっと見たい!」という気持ちになります。そんな二人が僕のことをずっと気にかけてくださっていて、一緒に曲を作ってTAKAHIROにプレゼントしたいということで…。初めて聴いた時、憧れの二人が作ってくださった曲というだけあって心のど真ん中に刺さって、これはきっと人生の宝になる曲だなと思いました。 ――歌詞を見るとTAKAHIROさん自身が投影されたような内容で、大切に作られた曲だということが伝わります。 EXILE TAKAHIRO:俊さんとは、一緒に活動したことはないので、よほど気にかけてくださらない限り、僕の長いスランプ時代を、あんなふうに言葉にすることはできないと思うんです。愛情として伝わってきたというか、ご心配をおかけした部分もたくさんあると思うんですけど、それをこうして作品にしてくださって、自分の歌でみなさんに届けられるというのは、本当にありがたい話だなと思います。 ニューアルバム『EXPLORE』が発売中。アルバムの仕様は、オリジナル曲のDISC‐1と、EXILE RESPECTのDISC‐2のCD2枚組¥4,950のほか映像付きなど全5形態。そのDISC‐2には「Ti Amo」や「Choo Choo TRAIN」といったヒット曲や、TAKAHIROさんがカラオケでおそらく一番歌っているという「羽1/2」など11曲が収録されている。 エグザイル・タカヒロ 1984年12月8日生まれ、長崎県出身。EXILEのヴォーカル。2013年、「一千一秒」でソロデビュー。今年春に初のソロツアー全20公演を完走し、9月21日に日本武道館で一夜限りのソロライブ「EXILE TAKAHIRO 武道館 LIVE 2023“EXPLORE”」を開催予定。 ※『anan』2023年9月13日号より。写真・小笠原真紀 スタイリスト・渡辺康裕(7B) ヘア&メイク・CHIE(H.M.C) インタビュー、文・保手濱奈美 (by anan編集部) https://ananweb.jp/news/504371/ Source: ananweb

  • 2023.08.11

ジョイマン「最初は“ナナナナ~”じゃなくて“ララララ~”だった」 ラップネタ誕生秘話 | ananweb – マガジンハウス

“ナナナナ~”でおなじみのジョイマンが今年、コンビ結成20周年を迎えました。国民的ラップネタの誕生に低迷期からの復活、今の円熟した関係性までを語ってくれました。 独特のリズムと、「ありがとう オリゴ糖」をはじめとする韻を踏むラップネタで大人気となり、老若男女から愛されているジョイマン。お二人は現在、コンビ結成20周年を記念したサイン会ツアー真っ最中。 ――東京でのサイン会を終えられたばかりですが、いかがでしたか。 池谷和志:青森など遠方から来てくれた方もいれば、ジョイマンが好きなおばあちゃんのために来たという方もいて。高木が「ムーミン 永眠」とラップを添えていて、よくないなと思いましたけど。 高木晋哉:反面教師というか長生きしてほしいという意味を込めました。 池谷:サインに書いたラップは声に出して発表するので、並んでいる方にも楽しんでもらえたはず。 高木:高校の時の担任の先生が来てくれたりとドラマもありました。次は47都道府県を回りたいです。 ――2014年には、ファンが一人も来ない“サイン会0人事件”もありました。 高木:ちょうど仕事がなくなっていく最中の出来事だったので、芸能界の底はここなんだと。逆に、地に足がついたというか、這い上がる覚悟をする転機になりました。 池谷:僕から解散話をしたことも。でも、だんだん笑けてきてね。 高木:エレカシ(エレファントカシマシ)さんの「悲しみの果て」じゃないけど、涙の後には笑いがある。エレカシはジョイマンだよ。 池谷:最近、その話、気に入ってるよね(笑)。高木さんがツイッターに会場の写真を上げたのも、底まできたからなんだよね。 高木:営業が減る可能性があるので普通は隠すんですけど。自分の中で抱えきれなくて、誰かに言わないとダメだと思って、世間に発表することにしました。 池谷:でも、かわいそうだと思った人から仕事が来るようになったんです。0人の話をするためにテレビに出たりとか。一時期、最高月収と最低月収だけを言って帰る、みたいなことも多かったです。 高木:だから、ツイッターで恥ずかしい部分を発信してよかったなと思いました。それまではプライドもあり、カッコつけてたので。 池谷:恥ずかしいことを言って笑ってもらえる職業なんだとあらためてわかった瞬間でしたね。でも最近、高木さんの発信に哀愁が足りない気がしていて。ファンの方はもっと、切ない高木さんを求めていると思うよ。“あ、今幸せなんだな”とバレてるはず。フォロワーが減っちゃうかもよ? 高木:幸せってバレちゃいけないんですか(笑)。どんな地球だよ、どんな惑星だよ…。 ――(笑)。大変だった時に解散を踏みとどまったのはなぜですか。 池谷:2011年くらいだったか、仕事がない時に高木が結婚して子どもが生まれて。僕からコンビを組むことを誘ったし、高木は自分から解散しようと言えないタイプなので、もう辞めない? と言ったんです。絶対にしんどいはずだから。すると、「解散するなら、その理由はお金じゃなくない?」と言ったので、こいつ、すごいなと。嬉しかったし、それ以降、解散のことを言うのはやめました。 高木:まず、芸人自体、稼げると思ってやっていないんですよ。ネタがウケないとか、心が折れて続けられないという理由ならわかるけど、まだ何かできるんじゃないかという気持ちがあったんです。 ――ジョイマンさんといえば韻を踏むラップネタが有名ですが、どのように誕生したのでしょうか。 高木:コンビを組んだ当時は『M‐1グランプリ』の影響もあって正統派漫才をやっていたんですけど芽が出ず。何年かして急に、漫才の中にギャグみたいなものをポンと入れたんです。僕が何か言われて怒り出した後に「トゥントゥントゥ~ン」っていう…(立ち上がり、動きを見せようとする)。 池谷:雑誌じゃわからないから! 高木:で、池谷が「なんだそれ!」とツッコむという流れがあり、そこだけがウケて。そこから「山田優~ セクシ~ 山田なのにセクシ~ 山田優~ 契約~ CM契約2、3本~ 2、3本~ イ・ビョンホン~ ペ・ヨンジュン ペルー人~ ペルー人~ ウォンビン ビール瓶~ クリントン 20トン!」と一気にできたんです。 ――すごいです! 池谷:『おもしろ荘』というテレビ番組のオーディションの時に、ディレクターさんに言われてコントにしたんです。その時にすぐ会議室に入り、2~3時間後には「ヒウィゴー カモン」と高木が現れる流れができました。 高木:そのまま10何年やっています。でも、最初は「ナナナナ~」じゃなくて「ララララ~」だったんです。でも、世の中に「ラ」のつくものが少ないことに気づいて。 池谷:“やっていくなら、「ナ」だ!”とその時に背負ったんだね。 高木:あとはジャンプ力も上がり、池谷の「なんだこいつ~!」というツッコミの声も大きくなるなど、変化や成長もあります。 池谷:営業とか生の舞台になると、高木さんがテンパったり、高く跳ぼうとしてネタが飛んだりもして。 高木:ジャンプの頂点の時にはネタがもういなくなってますから。 池谷:でも、芸能界の底にいた時は、自分たちがネタに飽きていて、力を抜いたり、ラップを言わずにスカしたりもして。でも、レイザーラモンHGさんやムーディ勝山さんなど、“一発屋オールスターズ”の先輩たちに、もっと堂々とやったほうがいいとアドバイスをいただいて、ちゃんとやるようになったんです。 高木:今は楽しくやってますね。 ――韻を踏む時の言葉選びで意識をしていることはありますか? 高木:お客さん100人中、15人でも知らない人がいる言葉だと笑いが減るので、極力100%の人が知っている言葉を使います。正直、大変なのは言葉よりも体力で。ジョイマンはスポーツだと思うくらい疲れますから。 池谷:サイン会の場合は5~6時間と長いので、スタミナ切れしてましたね。でも、それを超えるとラッパーズハイになり、覚醒して、本当に怖いくらい韻を踏みます(笑)。「追いラップ」までしたり。 高木:でも、会話の中で「今、ジョイマンさんぽかった」と言ってくれる方もいて嬉しいですね。「ありがとう オリゴ糖」くらいの長さの単語が並ぶとジョイマンに見えてくる人は多いのかも。 池谷:みんなの中に、ジョイマンがいるんです。 高木:地上波のテレビだけなら、R-指定さんより韻踏んでるしね。 コンビ結成20周年記念「ジョイマンの全国サイン会ツアー2023 ありがとう 日本列島」を、全国の蔦屋書店・TSUTAYAで開催中。これから大阪(8/18・19)、愛知(8/20)、広島(9/9)、福岡(9/10)、北海道(10/7)、神奈川(10/8・9)を巡る。オリジナルサイン色紙(¥2,200)を購入して参加を。Tシャツやフェイスタオルなどのグッズも販売。 右・池谷和志(いけたに・かずゆき) 1981年2月18日生まれ、神奈川県出身。左・高木晋哉(たかぎ・しんや) 1980年8月18日生まれ、神奈川県出身。2003年結成。池谷さんがツッコミ、高木さんがボケを担当。今年「ジョイササイズ」を配信限定リリース。YouTube「ジョイマンチャンネルだけど 池谷のみ(飲み)時々、高木」を配信。 ※『anan』2023年8月16日‐23日合併号より。写真・内山めぐみ インタビュー、文・重信 綾 (by anan編集部) https://ananweb.jp/news/500775/ Source: ananweb

  • 2023.07.28

小野花梨「これまでのご縁が積み重なって今に至った」 『初恋、ざらり』で連続ドラマ初主演 | ananweb – マガジンハウス

昨年公開された映画『ハケンアニメ!』で、若き天才アニメーターを演じた小野花梨さん。若いながらも、仕事への熱く頑固な情熱を持つ一方、プライベートでは自分に自信を持てずに鬱屈した思いを抱えている。そんな役柄をリアルに、そして魅力的に演じ、限られた出番ながら存在感を発揮し、今年日本アカデミー賞新人俳優賞も受賞した。 ――新人賞を受賞されて、なにか変化のようなものはありました? 小野花梨(以下、小野):正直、体感としては一切なく…、これまでと地続きの日々をコツコツ歩ませていただいています。 ――賞が自信に結びついたりは? 小野:お褒めの言葉をいただけたことはとても嬉しいことでしたが、自信というより、ここまで頑張ってきてよかったなという気持ちの方がしっくりくる気がします。 ――着実にキャリアを積んで、今回、『初恋、ざらり』で連続ドラマ初主演を果たします。 小野:プロデューサーさんは以前ドラマでお世話になった方ですし、共演の風間俊介さんは10年前の映画『鈴木先生』で共演させていただいています。これまでのご縁が積み重なって今に至った感じがして、過去の自分に通知表をもらったような、過去の自分を認めていただいたような気持ちになりました。 ――本作で演じているのは、軽度の知的障害と自閉症がある主人公・有紗。障害を隠して働き始めた職場でも周りに馴染めず、ミスを連発。そんな中、風間さん演じる職場の先輩・岡村の優しさに触れて恋に落ちるストーリーです。 小野:非常にセンシティブな題材ですよね。実際に有紗と同じ症状で不自由な思いをしている当事者の方たちがいて、表現の仕方など繊細さが必要な役で、少なからず恐怖心もあります。でも、原作を読んだとき、不器用な女の子が一生懸命に生きている…そんな愛らしさを感じて。気づけば有紗に感情移入していて、なぜだか自分の不安定な部分まで愛せるようになった気がしました。 ――考えすぎて動けなくなったり、テンパってミスしたりって、有紗ほどではないにしろ誰にもあることで、共感できる部分も多いです。 小野:この作品が秀逸だなと思うのは、そこなんですよね。軽度知的障害の有無にかかわらず、有紗の持つ劣等感に多くの人が共感できる。恋愛的なシーンでの、自分で勝手に不安になって相手を傷つけてしまって、その事実に自分も傷つく。相手を思うがゆえにすれ違ってしまうというところは、私も共感を覚える部分で。多くの人がプライドや理性で呑み込んでしまう言葉を有紗は言ってしまったり、逆に考えすぎるがゆえに言えなかったり。そういう個性はあるけれど、根底の感情に共感できるのが、この作品が多くの人に愛されている理由なのだと思いました。 ――連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』のきぬちゃんもそうですが、小野さんが演じることで役に人間的魅力が加わり、愛すべきキャラクターに育っていくような印象を受けます。普段、役にアプローチしていくとき、どんな段階を踏まれているんでしょうか。 小野:毎回、たくさんの方にアドバイスをいただきながら作っているので、自分だけでどうこうではないと思うのですが、演じる役については自分が一番好きでいなきゃとは毎回思ってやっています。この人のどんなところが良くて、どこがダメで、どこが愛おしいところかを、一番説明できる人間でいたいです。 ――ときには、キャラクターが自分には理解できない行動をとることもあると思うのですが? 小野:理解はできても共感はできない、というパターンはありましたけど、人として全く、理解も共感もできない! ということはなかったと思います。たとえば人を殺しちゃう役も、どんな理由であれ殺す結論に至ったことに共感はできなくてもそこまで追い詰められた感情の流れは理解できる…みたいな。 ――子役時代から遡って、これまでに難しかった役というと? 小野:それでいうと、今回の有紗役は、感情の根底にあるものは理解できても、アウトプットの仕方が自分とは真反対で難しいですね。私は、小さい頃からこの環境にいるからか、先に口が動いて、言葉を発した後から頭がついていって辻褄合わせをする、みたいなところがあります。でも有紗はパッと言葉が出てこない人なので、いったん頭の中で考えて言葉に出すまでのラグをお芝居で作る必要があるんですが、感情だけで有紗をやろうとすると、反射的に口が動いてしまって…。最初の数日は、有紗のテンポに慣れなくて悩みました。 小野さんにとって初の連続ドラマ主演作となる『初恋、ざらり』は、毎週金曜24:12~テレビ東京系にて放送中。軽度知的障害がある自閉症の上戸有紗(小野)は、そのことを隠して運送会社で働き始める。しかし、暗黙の了解が理解できず、ミスを連発し落ち込む日々。そんななか、職場の先輩・岡村(風間)の優しさに触れ、恋をするが…。 おの・かりん 1998年7月6日生まれ、東京都出身。2006年のドラマ『嫌われ松子の一生』で子役デビュー。’21年の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』や主演した映画『プリテンダーズ』、昨年の映画『ハケンアニメ!』などで注目を集める。出演映画『Gメン』は8月25日に公開予定。 トップス¥39,600(Y’s/ワイズ プレスルーム TEL:03・5463・1540) ジャケット¥63,800(daichiogata TEL:080・1212・7269) イヤリング、右¥20,900 左¥19,800(共にGARNI/ガルニトウキョウ TEL:03・3770・4554) ※『anan』2023年8月2日号より。写真・小笠原真紀 スタイリスト・髙橋美咲(Sadalsuud) ヘア&メイク・森下奈央子 インタビュー、文・望月リサ (by anan編集部) https://ananweb.jp/news/497785/ Source: ananweb

  • 2023.07.21

デビューは1歳! 21歳になった加藤清史郎「楽しいからやっているっていう根本は今も同じ」 | ananweb – マガジンハウス

デビューはなんと1歳のとき。大河ドラマ『天地人』や映画『忍たま乱太郎』、CMで扮した「こども店長」など代表作は数知れず。2010年のananでは表紙に登場、「Seishiro Love」と題し8ページにわたる特集が組まれたことも。21歳になった加藤清史郎さんが、今、そして当時を語ります。 ――つい先日、11月に帝国劇場で上演のミュージカル『LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』への出演が発表されました。 ’13年のミュージカル『レ・ミゼラブル』(通称・レミゼ)以来、10年ぶりに帝国劇場(通称・帝劇)に立てるのが何より嬉しいです。僕は高校入学のタイミングでイギリス留学したんですが、向こうにいる間も将来的に日本のミュージカルの世界に戻りたいと思っていて、そのイメージの中にあったのが帝劇でした。初めてミュージカルを観たのも初めて立った舞台も帝劇で、自分にとっては特別な思い入れがある場所なので。 ――幼い頃からドラマ、映画、CMにと活躍されていましたが、そこまでミュージカルに強い思い入れを持ったのはなぜですか? きっかけは、当時の事務所の先輩子役さんがガブローシュという役を演じているからと観に行ったレミゼです。そのとき、この大人たちに交ざって、大人顔負けの熱量で歌って、お芝居して、走り回っている男の子、なんなんだ、すっげえかっこいい…ってなったんです。レミゼという作品も大好きになって、次にオーディションがあったら絶対に受けさせてほしいと事務所にお願いしました。もしあのときに、先輩がガブローシュをやっていなかったら、僕はレミゼもミュージカルも知らないままだったかもしれないし、留学もしてなかったかもしれない。俳優人生のターニングポイントをくれた帝劇に10年ぶりに帰ってこられるということで、ちょっと気合入っちゃってます(笑)。 ――初めてガブローシュ役で出演されたのが’11年。大人気子役として引っ張りだこだった中、ご自分からオーディションを受けられたとは思いませんでした。 当時のことをよく「すごく活躍されていた」と言っていただきますが、僕としては当時も今もその感覚があまりないんです。たしかに『天地人』やこども店長で名前が出て、道端で声をかけられることは増えましたが、学校だったり家族や親戚、友だちだったりが、何も変わらなかった。レミゼのオーディションに関しても、小さいときから散々受けてきて落ちるのが当たり前だと思うようにプログラミングされているので(笑)、抵抗はなかったです。100%出し切って落ちたら、それはご縁とタイミングが合わなかっただけのこと。それでも、あんなに緊張したオーディションってなかったんじゃないかっていうくらいでした。もともと緊張しいではあるけれど、本当に吐くんじゃないかってくらい、過去最高レベルでしたね。 ――ご自身は人気子役の自覚はなかったんですね。 ありがたく感じていましたけれど、ただ自分が楽しいことをやってるだけなのに、いいのかなぁみたいな感覚だった気がします。楽しいからやっているっていう根本は今も同じですけれど、あの頃に比べたら、少しはお芝居をお仕事として見られるようになったかな。 ――’15年に市川海老蔵(現・團十郎)さん主演の六本木歌舞伎に出演されたとき、俳優を辞めるか迷って海老蔵さんに相談したと話されていました。“楽しい”お仕事を辞めようと思っていたのは? あのときは、楽しいことが他にもあったんですね。 ――というのは? 野球です。小さい頃から阪神タイガースが好きで、ずっと大ファンだった赤星(憲広)選手とお話しする機会があって、「俺は中学の途中から野球を始めたから遅くないよ」と言われたんです。そのとき、今からでも自分も野球選手になれるかもしれないと本気で思っちゃったんです。野球選手がお芝居やってるイメージはあまりないけど、CMやバラエティ番組に出られたりもするし、両立できなくないのかなと考えたりもして。 ――その頃は、本気でプロ野球選手を目指そうと思われた? …というと語弊があるかもしれませんが、気持ちとしてです。なれるかはわからないけれど、もしまだ野球選手になる可能性があるならば…と思うくらい野球が好きだったんでしょうね。 ――あの…大変に失礼ですけれど、意外と単純、というか…。 そうなんです(笑)。今もそういうところがありますが、楽しいからやっていて、楽しくなければやれない。俳優業も、子供の頃から親に「いつ辞めてもいいんだよ」って言われてきたおかげで、将来的に家計がどんなに苦しくなっても、楽しくなくなったら辞めるんだろうと思います。逆にどんなに苦しくても、演じる楽しさを超えない限り続けるんでしょうし。 ――ということは、ここまでずっと、楽しいが勝っていた? 今のところ、楽しくないと思ったことはないです。まだまだ僕の経験なんて、たかが知れてますけど。演じている最中も楽しいですけれど、カットがかかった瞬間、舞台だったらカーテンコールでお辞儀して顔を上げた瞬間、楽しいなーって思います。 ――それは達成感? それもあると思いますが、たぶんその瞬間って、感覚がもっとも研ぎ澄まされているんです。喧嘩のシーンとかだとより実感しやすいですけれど、相手が発するあらゆるものを敏感に感じ取って投げ返して、それを向こうが受けて…って、卓球とかテニスのラリーみたいな感覚です。しかもそのラリーには勝ち負けがなくて、どっちも勝ち。そりゃ楽しいですよね。 ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒にされた』は、毎週土曜22時~日テレ系にて放送中。卒業式の日に生徒に殺される未来を体験した女教師・九条里奈(松岡茉優)。自身の死を覆すため、生徒にすべてをかけて向き合う覚悟を決める。加藤さんは、すべてにおいて自分の“楽しい”を優先させる独善的な生徒・相楽琉偉を演じる。 かとう・せいしろう 2001年8月4日生まれ、神奈川県出身。1歳でデビュー、7歳のときに大河ドラマ『天地人』で演じた幼少期の直江兼続で注目を集め、映画『忍たま乱太郎』など数多くの映画やドラマに出演。中学卒業後はイギリスに3年間留学。帰国後に出演したドラマ『ドラゴン桜』第2シリーズやミュージカル『ニュージーズ』なども話題に。 カーディガン¥13,200(ヌワールファブリック/ジーンズ ファクトリー 卸団地本店 TEL:088・861・5100) その他はスタイリスト私物 ※『anan』2023年7月26日号より。写真・玉村敬太 スタイリスト・ダヨシ ヘア&メイク・MYOKEN インタビュー、文・望月リサ (by anan編集部) https://ananweb.jp/news/496380/ Source: ananweb